ペシミストの幸福論

佐藤さんと渡辺さんの話

黒と白に愛された椅子の話

 

 

こんばんは、カトウです。

 

滝沢歌舞伎ZERO、ラウールという新しい武器を手に入れた新生SnowManでの新橋公演の幕が上がりましたね。いつもメンヘラブログは幕が降りてから書くことにしてるのですが、どうしても書きたいことがあるので筆をとってみました。手に持ってるのはスマホですが。

※以下ネタバレ含むので、見たくない方はスルーしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Maybeがヤベェ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらいヤバイかというと、私的初日でMaybe見て無意識に涙が出てきたくらいヤバイ。ダンス見て泣く私も私でヤバイ。

 

まずラウールに度肝を抜かれた。15歳の「ダンスに自信があります☆」の言葉を舐めすぎてた。猛省。自信なんてもんじゃない、武器だ。しかも凶器。ラウールのダンスに殺される。

 

佐久間くんのダンスは言わずもがなだけど、期待を遥かに超えてきた。しかもそれがフリーダンスだなんて、どこまで表現の人間なんだろうか。ステージに立つために、表現するために生まれてきた人だと常々思う。

 

あべふか担、他担にもラウさくのダンス見て欲しいと思って文字にしてみたけれど、先述のようにフリーダンスとかいう生きた物に見所を設けるのは難しいから、ラウさくのダンスを見て私が感じたことだけ書きます。自己満です。吐き出さないと苦しくて死にそうだから。

 

以下私なりの考察です。意見が合わない方も、違う見方をされてる方もいると思うので、こんな捉え方する人もいるんだなくらいに思ってください!

 

 

 

 

 

 

Maybeの歌詞が

「もう2度と恋はできないなんて 悲しみを味わった胸 知らず臆病に 誰かと触れ合う時も 求め合う時にも 冷静な自分を隠し持つようになってしまった」

「今までの世界とどこか噛み合わなくて 焦りながらもバランスを取ろうと 夜の街に身を委ねるけど 強烈な虚無感に溺れて また君を想う」で、

ステージ上の円の外にいる黒の佐久間くんは、そんな激情に溺れる自分を傍観する「冷静な自分」で、円の内側にいる白のラウールはそんな冷静な自分を隠し持つ「強烈な虚無感に溺れた自分」だと思った。表と裏。モノクローム。それ前提で話していきます。

 

佐久間くんはどこか落ち着いていて、それでいてどうしようもない苦しみに囚われているようなダンスで、ラウールは感情に任せたまま苦しむようなダンス、正反対に見えて苦しいのは一緒で、両者共に黒と白のコントラストの体現みたいなダンスをするから見て欲しい。振りもバラバラだし、2人分けて見てしまいがちだけど、佐久間くんのダンスとラウールのダンスは対になっていて、どちらかが欠けたらどちらも作品として成り立たないようなアンバランスささえ感じた。

 

円の外にいる佐久間くんは椅子に腰掛けてそれを愛しむように抱きしめるのだけど、その時の表情が死ぬほど苦しそうで、椅子を引きずる足取りも重くて、この椅子はもしかしたら「重さを量りながら疑ってた」「愛」なのかもしれないと思った。

 

そのうち重そうに引きずってた椅子を手放して、椅子は回転するステージに乗って佐久間くんの手元から離れて行くのだけど、佐久間くんは自分で手放したそれを必死になって追いかけて、縋り付く。これは「遠ざけては 追いかけていた」「愛」で、縋り付くのは「I just wanna stay with you」自分で手放したくせに必死になって追いかけて、それでまた手に入れて苦しむなんてズルい。ズルいから絶対見てください。椅子は「愛」だった。

 

「思い出す 鼓動の間隔 遠ざけていた感情の全てを」からはラウールのターンで、思い出した感情のままに溺れていく様を長い手足を使って、音に乗せて表現する彼が美しいから、ここはラウールを一番見て欲しい。床に倒れて、のたうち回って、感情のままにもがく様は「強烈な虚無感に溺れた」自分そのもののように思えた。床に倒れて、必死に手を伸ばすんだけど届かなくて、その伸ばした手の先にあるのが椅子(=愛)なんです。またお前か。

 

「もがいては 苦しみの果てに 一筋の光を感じてる」でようやく椅子の元にたどり着くラウール。愛しそうに、苦しそうにそれを抱き締める様は佐久間くんと同じ「I just wanna stay with you」だった。似ているけど似てなくて、同じじゃないけど同じなのが黒と白の対比になってるのかなと。衣装の色を分けたことに意味を与えるならそれがしっくりくると思った。

 

「渇いていた心が満たされ」たのかはわからなかったけど、先にステージから消えるのが「隠された冷静な自分」の佐久間くんで、そんな自分を隠していたラウールは最後までステージに残ってスポットライトを浴びながらステージの真ん中で高く腕を伸ばしたのを見て「隠し持っていた」冷静な自分が消えて、残ったのはそんな臆病な自分を隠さなくてもよくなった「本当の自分」なのかなと思った。

 

 

ペラペラとそれっぽいことを語ったけど、最終的に何が言いたいかと言うと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

椅子、そこ代わってくれ。

 

以上